オリンピック選手に聞いてみよう!Vol.1 ~ミキハウスロンドンオリンピック代表選手座談会~

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  • ミキハウス社長 木村皓一 メッセージ

やっぱり、いろんな我慢をして、今がある?

限られた人間にしかできない練習をしているからこそ、立つことを許される舞台。

藤原新
すべてを犠牲にして、陸上に打ち込んでいる、かな(笑)。
足立
シンクロは、練習に時間がかかるんですよね。チームとして合わせていくにも時間がかかるスポーツなんです。常に練習としての拘束時間が長いので、時間には拘束されていますよね。
平野
平野 早矢香(卓球)自分の中では、我慢をしているという感覚はあまりないです。ただ、卓球の場合は、年間の試合数がかなり多くて、ほとんど海外の試合という感じのスケジュールになるんです。自分の自由な時間はあまりなく、好きなときに使える時間は限られるんですよね。でも、我慢している感覚はないですね。カラオケは好きなので、もっと行きたいですけど(笑)。ただ、やっぱり練習や試合で、自分の思い通りに行くことが一番気持ちのいいことなので、卓球を置いて遊びに行く気持ちには、なかなかなれないです。
蟹江
我慢はしてないほうだと思います(笑)。食べたいものを食べているし、好きなこともやっているし。やっぱり我慢してないです(笑)。
須長
犠牲にしていますよ。まずは美白です(笑)。セーリングは日焼けをしてしまいますから。あと、自然を相手にするので、体力や筋力をつけないと風に吹き飛ばされてしまいますから(笑)。
鈴木
オリンピックに関係なく、学生の頃はやっぱりみんなと遊びたいという気持ちがあるわけです。でも、そこで恩師に言われたんです。誰もができないことをやっていないといけないんだ、と。限られた人間にしかできない舞台に立ったり、練習をしているわけですよね。だから、やっぱりそれを信じて練習をしていました。私はもう4年前に現役を引退してしまったんですが、今から考えると、我慢や犠牲があった分、打ち込めていた気がします。そもそも自分が好きでやっているので、好きでやっていることに対しては言い訳もしたくない。全力で練習して、そして舞台に立ることができたのではないかと思います。
野村
野村自分は比較的、練習は好きなほうではないんです。ただ、本当にトレーニングで畳の上に上がっているときというのは、やっぱり誰よりも強い気持ちと熱い気持ちで、誰も近づいて来られないくらいのオーラを出して練習していたと思います。練習量を比較されたら、おそらく練習をしていないと言われることが多いんですが、誰よりも厳しい練習をしています。その意味で、厳しさを持ってやっていた我慢はあったと思います。ただ、休むのがうまいと言われましたね(笑)。やるときはやる、休むときは休む。やっぱり気分が乗らないときもあるんです。そういうときに、ごまかしながら練習するのであれば、休んでしまおうと思っていました。流す練習、手を抜く練習をするくらいなら、休んだほうがいい、と。その分、次の日に死にものぐるいでやろうと思っていました。

オリンピックは、やっぱり憧れで夢だった?

足立
足立夢実(シンクロナイズドスイミング)シンクロを選んだきっかけが、もともと身体が柔らかかったということがあるんですが、シンクロ選手としては背も小さいし、長い手足を持っているわけでもないし、恵まれた体型とはいえないのが、自分だったんですね。だから、小さい頃からオリンピックを目指していた、なんてことはないです。でも、シンクロが楽しくて続けていて、目の前にある、一つひとつの試合を頑張っていたら、オリンピックがあったという感じです。まさか自分がオリンピックに出られるような選手になるとは思っていませんでした。オリンピックを意識できるようになったのも、高校2、3年くらいだと思います。
須長
須長由季(セーリング)私は、母がオリンピックが大好きだったんです。それこそ、開会式から閉会式まで、テレビの録画をしてしまうくらい(笑)。競技も、夜中でもずっと見てしまう。そんなスポーツ好きの母だったので、影響は大きかったと思います。世界選手権とはまた違う、4年に1度のスポーツの祭典ですし、いろんな人に夢を与える存在だ、と。だって、母のような、ごく普通の主婦を、テレビに釘付けにしちゃう何かがあるわけですから。ウインドサーフィンには子どもの頃には出会っていませんから、競技のイメージは持っていなかったし、オリンピックを目指すなんて、まさかと思っていましたが、オリンピックのいいイメージというのは、小さい頃から持っていましたよね。
藤原
藤原新(マラソン)オリンピックそのものに対する憧れはもちろんありましたね。すごいなぁ、と。ただ、中学のときの大会で結果が出ても、これでオリンピックに一歩近づいたぞ、なんて思うようなことはまったくなくて。それこそ2004年のアテネオリンピックのときまで、「オリンピック代表のお兄さん、お姉さん、がんばれ~」くらいの気持ちでいたんですよね。夢というか、ファンタジーというか、別世界の場所としての憧れは持っていました。ただ、2008年の北京オリンピックのときから、具体的に「オリンピックを目指してやるぞ」という目標に変わったんです。
蟹江
蟹江美貴(アーチェリー)オリンピックを意識するようになったのは、ミキハウスに入社する、ちょっと前なんです。アーチェリーも、実は中学が終わったらやめようと思っていたんですよね。ところが、近くにある高校に入ったら、またアーチェリー部がありまして(笑)。親も、せっかくやってきたのに、やめるのはもったいないと言うんです。じゃあ、続けてみようかな、と思ってやっていたら、同じ高校の同級生が世界ジュニアに行ったんです。私はその選考会で負けてしまって、ものすごく悔しかった。それで、大学でも続けることにしたら、世界大会に出る機会をもらって。次のステージは、と考えたらオリンピックが浮かんだんです。ちょうど進路を決めるときで、ミキハウスにアスリートの先輩がいて、オリンピックを経験されていたので、オリンピックに行くなら、経験されている方がいる環境でやるのがいいかな、と思ってミキハウスを選んだんです。
平野
平野 早矢香(卓球)私は小さいときにテレビで、メダルを取った選手に感動させられる場面をたくさん見ていて、すごいなぁ、と思っていました。自分が出たいというよりも、視聴者として一緒に泣いたり、喜んだり、という感じでした。それが高校くらいから、少しずつ世界の舞台に出られるようになって、本当にいつかオリンピックに出られたらいいなぁ、と。なんとなくそういう夢みたいなものができ始めて。私は高校を卒業してミキハウスに入社したんですが、進路を考えるとき、本当に世界を目指してオリンピックを目指すんだったら、ミキハウスしかないと思っていました。特に卓球の場合は、ここしかないという気持ちは強かったですね。本当にミキハウスに入社することができて、たくさんの先輩方に引っ張ってもらいながら、少しずつ自分がオリンピックに出るという意識を持てるようになりました。何年か計画を立てて、オリンピックに出ようという現実的な目標に変わっていきました。

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